人間の縁
人との出会いも神仏との出会いも縁と思います。私は毎日ヘルパーさんのお世話になりながら生活をさしていただいていますが、たまには「こんちくしょう」とか「ありがとう」とか思う時がありますけど、これも縁の一つだと思います。
私が修行して神仏との縁があったのも私には財産と思います。修行中は玉ねぎ、ニラ、にんにく、豚肉は一切食べれませんでした。それでも命があったのも私を僧侶に導くための神仏様からのご指導だったと思います。
私が僧侶になろうと思ったきっかけは自分の障害が早く直ればいいなあと思ったのが4歳くらいの時でした。
はじめは神社やお寺に行くたんびに泣いていた事を思い出します。あの時は白い着物、黒い着物が怖かったでしょうか?今では自分自ら着てますけど
それより私の何よりの財産は親兄弟はじめいい人にめぐりあえたことです。たまには言い合いもしますけどそれを出来るのが人間としての縁ではないでしょうか?
言語障害があれば知的障害や精神障害と思われがちですが、まだまだ日本は格差社会だと思います。それをなくすために私は音楽活動し、僧侶活動し、政治活動しています。人間だから人間らしい生活をしたい。そしていずれは親も面倒みたいと思ってますが、いつになることやら。
私は障害者でも生んでくれた両親に感謝しておりますが、両親にはなかなか言えないですねえ。友達にもなかなか言えないですねえ。でも幸せです。
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