知っていますか?これは大事な事

靖国神社は明治、大日本帝国憲法のもとで作られました。理由はA級戦犯を祀るためであり、戦没者はその後に祀られました。これは大変おかしいことです。福岡で言うと護国神社がそれに該当します。なんで問題かというと普通は神社には大抵天照大神様をお祀りします。

 

天照大神様が神の中でも一番上の方です。なんでその神様を靖国神社は祀っていないのでしょうか?考えただけでも変です。参考の為に靖国神社のURLと福岡の櫛田神社のURLを張っておきますので見比べてください。

 

http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html

 

靖国神社の姿

 

「靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています」(HPより)

 

http://members3.jcom.home.ne.jp/romantic-hakata/kushidajinja.htm

 

福岡市の櫛田神社

 

社伝によれば、天平宝字元年(757)の創建と伝えられ、伊勢国松坂の櫛田神社を、当地の産土神として勧請して宮を建てたのがこの神社の始まりであるとされています。

 

その時、松坂の櫛田神社の御祭神・大幡主神は元々天照大神にお仕えしている一族の神であったため、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられるいます。

 

そして更に天慶4年、藤原純友の乱を鎮めるため、追討使小野好古が京都の八坂神社に神助を祈願し、素戔嗚神を当地から勧請し、奉斎することになったとのことです。

 

他に、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社を、
日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説もあるが、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もあるようです。

 

古くは祭神ごとに別々の神社となっていましたが、九州を平定した太閤・豊臣秀吉が社殿を寄進しひとつの神社としたことにより現在の姿になりました。

 

明治元年の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していました。(HPより)

 

明治以前は神仏混合で宮司が左、僧侶が右で一緒に拝んでいた時代もありました。今で言う真言宗と天台宗です。いわゆる密教でいう我々僧侶です。真言宗の場合神社でも修行したあとに本格的にお寺での修行が始まります。

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